RIPARIAN.F.DOGS

ライパリアン.エフ. 〜ちゃこの日常〜

ゲド戦記

見たかった見たかったゲド戦記。やっと見に行きました(^^)。なんだかジブリアニメとしては、賛否両論あるようだけど、そんな賛にも否にも目を通さず、耳を貸さず先入観ナシで見てきました。ちゃこまま、原作はまったく読んでいないので、映画「ゲド戦記」から思ったことをダラダラと書いてみます。

ちゃこままの感想:すごい良かった。アニメとして伝えたいものがズバリ伝わる作品だったと思います。映画のポスターにある一言「見えぬものこそ。」この、見えぬものとは何か?、見えぬものこそ‥この後に続く言葉は一体何なのかを考えさせられる映画でした。

最後、テルーが龍に変わり、クモと対峙する。なぜテルーが龍に変わったのか?私としては、、ここが多くの人が一番疑問に思うシーンではないかと思います。単純に言えば、実はテルーは龍でした!って言えば、簡単かも。でも、かえって、なんで龍が人になっているの??とさらに疑問が出てしまうので、この答えはちゃこまま的には却下(笑)。

映画より〜太古、人間と龍はひとつであった、しかし、ものを欲した人間は、大地と海を選び、自由を欲した龍は、風と火を選んだ。以来、人間と龍は交わることがなかった。

この映画のズバリな主題としては、今あるものを受け入れ、バランスを保つこと(多くを欲しない、自然と共に生きることなどなど)、命を大事に生きることがあります。しかし、映画の世界で描かれる人間界は、世界レベルでも、個人スケールでも災いが訪れ、均衡が崩れている状態です。人間は、大地と海を選んだとされていますが、大地の恵みである作物を食べるために、火を使い、海へ出れば、船を動かすために風を使い、生きていく上で、大地、海、火、風は切り離せないものです。つまり、目にみえなくとも、風と火を選んだ龍と共存しているということを人々が忘れてしまったために、均衡が崩れた世界になってしまっているのではないかと思います。お互いを受け入れ、生かされていることを認識しなければならないと感じました。

テルーが、アレンに言ったセリフ「命を大切しない奴なんか大嫌いだ!」テルーは、命を大切にしたいと思う形をそのまま表したような存在です。一方、アレンは、心の中に闇を抱えています。テルーとは対照的に、心の闇から逃げ、生きることに意味を見出せないでいます。
ハイタカ、テナーを助け、クモと対峙するうち、二人の心は一つとなります。アレンは映画の中で「心の闇は体を奪って逃げてしまった、共にあるべきものを置き去りにして。」と言い、この共にあるべきものに気付きます。テルーも「命は自分だけのもの?あたしはテナーに生かされた、だから生きなきゃいけない、生きて誰かに命を引き継ぐんだわ。」と言い、アレンと表現は違えど、何かによって生かされているつまり、共に生きているということを言葉によりアレンを含め、映画を見ている人達に語りました。そして、2人の心〜目に見えぬものが一つになる、つまりは、それこそがこの映画の主題の一つでもあると思います。

最初の方の問いに戻り、テルーは龍だったのか??私の中では、最後テルーが龍になるシーンは、アレンとテルーを通して、大地、海を選んだ人間と、人と風を選んだ龍の調和を表現しているだけであって、テルーは龍であった!というオチではないと思います。そもそも、映画の最初に登場する共食いする龍、これも存在するものかどうかというのは分かりません。目に見えない自然の怒りを龍という形で表現したと捕らえると、そもそもゲド戦記の中では、実在する龍はいないと考えます。

映画の冒頭、「エアの創造」より〜ことばは沈黙に 光は闇に 生は死の中にこそあるものなれ とあります。すべてのものに陰と陽がある。まさにそれにつきると思います。

光は闇に 生は死の中にこそあるもの この部分は、映画を見れば、映画のキャラクター達からヒシヒシ伝わることだと思います。

最後に、ことばは沈黙に。この部分、ちゃこまま的にかなり気に入りました(笑)。
テルーは、唄の中で、自分の心を何にたとえようと問うています。テルーは自分の心を、鷹のよう、空を舞うような悲しさ、花のよう、雨に打たれる切なさと言っています。これまで、多くを語らずずっと沈黙していたテルーが自分の心を言葉により表現しようとする‥。この唄も、静と動のバランスを感じます。そして、ズバリ心とは〜であると問わない(問えないのかもしれないけど‥)ことによって、訴えることの多い唄でありながら、静けさの中に力強さを感じ、映画を見た多くの人の心をズバリこうでなくてはいけないと支配せず、考える余地を与える唄であると思います。
ゲドの言葉より、「すべてのモノには真(マコト)の名がある。その真の名を知ることによって、相手を支配できるのが魔法の力だ、(中略)、むやみに使って良いものではないのだ。」真を言葉で語ってしまうことは、周りの人にも自分自身にも強い影響を与えるものです。しかし、自分自身の心の中で考え、真にたどり着くことは、言葉にしなくとも強い力を持つものです。

命あるものすべてに意味がある、バランスをとって生きているという意味では、ジブリ作品の「風の谷のナウシカ」のナウシカ、樹海、虫たちに通じるものがあり、ストレートな良い映画でした。ちょっと長すぎてまとまりのない文章となってしまいました(汗)。もう一度見れば、もう少し考えがまとまると思うのですが、ビールを飲んだ頭ではこの程度が精一杯。

お姉ちゃんに内緒で見に行ったゲド戦記‥、しっかりバレました(笑)。お姉ちゃんも行きたいというので、週末もう一度見に行ってきます。