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ライパリアン.エフ. 〜ちゃこの日常〜

ぼくのメジャースプーン(辻村深月)

ぼくのメジャースプーン』(辻村深月
泣きました。本は読んでも,なかなか人に薦めることはないのですが,これはいいっ。

主人公は,小学4年生の「ぼく」。可愛がっていたウサギが殺され,その第一発見者となったぼくの大好きな同級生のふみちゃんは声と心を失ってしまった。


ウサギを殺した医大生の犯人には,器物破損の罪と執行猶予3年の罰が与えられる。「うさぎを殺すことに理由はない」と言う身勝手な犯人。


「ぼく」は,条件ゲーム提示能力という「ぼく」と同じ不思議な力を持つ大学教授の秋山先生から,力のことを学びながら,犯人が犯した罪,与える罰,正義とは何かを一生懸命考える。


そして,犯人と対峙する。


「ぼく」の出した結論は‥‥。


「ぼく」の出した結論は‥‥‥,「ぼく」を大事に想う人達のことを考えない身勝手なものでした。だけど,この結論に至るまでの「ぼく」の気持ちがとんでもなく切ない‥。


タイトルにもあるように,本書の主題は『メジャースプーン』。メジャースプーンは,正確に正しく量りとる道具。立場や視点が異なるそれぞれの心のメジャースプーンで,命の重さ,人間の身勝手さを量っています。


「命が器物だなんて,そんなのは間違っている」「だけど,うさぎの命はやっぱり動物の命で,それ以上なんだって,思えなかった」うさぎの命やふみちゃんの心や,目に見えないものは価値がない‥と思う犯人を憎いと思いながら,うさぎの命を人間より軽いと思っていた「ぼく」。
そして,声と心を失ったふみちゃんを前にし自分のことをどうしようもない人間と思ってしまう「ぼく」。「ふみちゃんにとっては,うさぎの命はどうしようもない人間のぼくらより,きっと大事だったってこと。きちんとぼくは,知ってる」


自分自身にしか執着しない身勝手な犯人。憎い。だけど,「ぼく」は,犯人へ与える罰を考え続ける「ぼく」もまた,身勝手な理由により突き動かされていることを分かっている。復讐の理由は,ふみちゃんが「ぼく」の身代わりになったことの責任に耐えられないというものだった。本当は「ぼく」がうさぎ当番で,声を失うのはふみちゃんではなく「ぼく」だったはずだから。


小学4年生とは思えない「ぼく」の考えや言葉の数々。だけど,それ以上に,子供だからこそ量りとれなかったであろうものも見せつけてくれています。時間の長さ,「ぼく」自身の命の重さ,人間の強さ。


犯人と対峙した後,「ぼく」は秋山先生に泣きながら聞きます。ふみちゃんから聞いたあの話を‥。
「せんせい,人間は身勝手で,絶対に誰か他人のために泣いたりできないんだって本当ですか」
秋山先生は答える。
「馬鹿ですね。責任を感じるから,自分のためにその人間が必要だから,その人が悲しいことが嫌だから。そうやって『自分のため』の気持ちで結びつき,相手に執着する。その気持ちを,人はそれでも愛と呼ぶんです」
身勝手‥だと思い苦しんでいた「ぼく」。だけど,「ぼく」のふみちゃんに対する想いは『愛』であったと答える先生。


動物の命と人間の命。被害者と加害者。許すことと罰を与えること。身勝手さと愛。相反するようで密接に関わる事柄を考えさせられる1冊でした。


かなり感動。


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